いろいろあったけど、私は元気です

東北地方太平洋沖地震、発生から帰宅まで、3月11日の記録です。
相変わらずまとめる能力がないので、だらだら長いです。備忘録がてら。
引用部分はtwitter、メッセのログ、メールから記録。

◆地震発生その時

3/11 14:48:06 地震だぁ。縦揺れに横揺れに変な揺れ方してる…!
3/11 14:48:34 時計が落ちた
3/11 14:48:44 これはやばい
3/11 14:50:53 こんな長くてひどい揺れ初めて…!

地震があったその時、私は職場@東京東部にいました。
3/9のお昼や3/10の明け方にも地震があったこともあって、
揺れ始めた時は「ゆれ…揺れてるね?また地震か!」と。


ところが最初は小さかった揺れが、揺れが止むどころかだんだん大きくなり始め、
壁にかかっていた時計は落ちてガラスが割れ、パソコンやモニターがカタカタいうようになり、
今までに体感したことのない揺れ方に、ついには机の下に潜り込む。
でも、横にあるキャビネットも動くし、モニターとかが落ちてきそうな気がして逆に怖くて、
結局顔を出してデスクの上を常に注意しながら、いつ終わるとも分からない揺れに耐えることに。


今回の地震は本当に長くて、9日の地震も長かったと思ったけど、その倍くらいに感じた。
自分のtweetみても3分は揺れていたみたい。


揺れが収まった後は、主にyahooとtwitterで情報収集。
すぐに宮城が震源地という情報と、最高震度7を知り驚愕。

◆余震と一時避難、そして定時まで

3/11 14:59:36 余震来てるね
3/11 15:00:03 この揺れは自宅もちょっと心配だなぁ、帰ったら気をつけながら確認しないと…
3/11 15:00:13 !!!TV大丈夫だろうか…

一番大きな地震の後も次々と余震に襲われ、常に揺れているような感覚。
そんななかディスプレイを見ていたのもあって、気分が悪くなってくる。「地震酔い」らしい。


そしてその頃になってようやく頭が回り始め、自宅の状況も気になりだす。
居住階は高めだから揺れは大きくなりそうだし、
買ったばかりの大型テレビが壊れていたらどうしようと不安になってきた。


少しして、以前同じ部署だった方が話しかけてくれたので、messengerでおしゃべり。
するとまたしても、大きめの地震が発生。

3/11 15:15:44 また!!
3/11 15:15:46 これひどい
3/11 15:15:57 でかい


そしてこの地震で、ビル管理側からビル外避難の連絡が流れ、外に出ることに。

3/11 15:18:58 外へ避難

3/11 15:26:56 ビル外に待避なう
3/11 15:31:20 このままいつまで待避するんだろ?寒いし目処立たないし、帰りたい…。電車動いてなさそうだけども


最初の地震があった時点でビルのエレベーターは停止になっていたので、階段で下へ降りて外へ。
外に出たはいいものの、入口にビルの人たちがわらわらと集まっているし、
エントランス付近はガラス張りなので、いざって時には全然安全じゃない…ということなのか
会社の人が移動すると言うのでくっついて近くの公園へ。


結局30分ほど避難したところで、ビルの管理会社に確認に行った人がいて
「戻ってもいい」ということで再びビルの中へ。

3/11 15:53:12職場なう。エレベータ動いてないから、階段がすごいしんどかった…

行きと同じくエレベーターは停止中なので、6階まで階段を上る。非常にしんどい。

3/11 16:03:08 電車、メトロもJRも止まってるから、動くにも動けない… 東京直下じゃないけど、これはまるで、TVでやってる東京地震のシュミレーションそっくりな状況では…
3/11 16:04:24 TVとか映像を見られる環境にないけど、東北、宮城の方はどうなってるんだろう…怖い
3/11 16:40:37 電車はいつになったら動くんだろうね…?

この頃は社内ということもあってTVを見ることもできないし、
twitterとかネットから情報収集はしていたけれど、まだよく状況が分かっていなかった感じ。
「何か大変なことになっている」ことは分かっていたけど、何がどう大変か全然掴めてなかった。

3/11 17:03:44 ゆるく揺れてる気がするけど、もはや体がそう感じてるのか、本当に揺れてるのか判断がつかない…
3/11 17:20:59 余震の震度がまた上がってきているような…

17時を回り、あの地震から2時間を経過。
余震が続き、本当に揺れているのか感覚がおかしくなっているのか分からない状態に。
しょっちゅうYahooの地震情報をリロードして確認してた。ちなみに余震は3時間で25回以上発生してた。


この頃、マグニチュードはM8.8に修正され、完全に「大震災」レベルだという認識をした。
ちょうどメッセしていた相手は関西出身で、阪神大震災も体験している方。
それでも「高層ビルでの地震*1は初めてだったけどヤバい。阪神大震災の時より怖かった」と言っていた。

3/11 17:34:32 JRもメトロも今日中の復旧は見込めなさそう。 今日どうするんだろう… バス動いてるかもだけど、乗り継ぎの見通しがないし、歩くのは4時間はかかるし、夜危険だし、もうどうしたらいいの…

そして更にこの頃、ぱらぱらとTL上に「今日はJR復旧しない」という情報が上がり始め、
どうやったら帰れるか、がリアル問題に。
とりあえずgoogleマップのルート案内で自宅までの道のりと時間を検索。
19km、4時間という結果に、歩いて帰るのは不可能じゃないと思った。
津波と交通機関の麻痺で職場待機の呼びかけも始まっていたけれど、正直帰ることしか頭になかった。


◆帰宅開始

■バスに乗る

18時半過ぎ、同じく東京の西側へ帰るという人たち4人と帰宅に向けて会社を出発。
電車は動いていないので、まず向かったのはバス停。
最寄駅から東京駅へのバスが出ているということで、駅へ向うもすごい人らしくひとつ前のバス停まで歩くことに。
ひとつ前のバス停に着くも、当然のように既に長い行列。30人は並んでただろうか。
でももう他に選択肢はないので、最後尾に並ぶ。


19時前、並んでから10分しないうちに、東京駅行きのバスがやってきた。しかも割と余裕がある!
が、続々と人が乗り込み、あっという間にいっぱいに。
私たちの10人ほど前くらいで「バスは続いてますので、次のバスをご利用ください」ということで乗りこめず…。
この後、アナウンスがあった通り、割とすぐ後に東京行きのバスがやってくるものの、
このバスはすでにいっぱいで、「乗れません、次をお待ちください」のアナウンスだけして行ってしまった。


19時過ぎ。少し待って次に来たのは新橋行きのバス。
上司たちは「このままここにいても仕方ない、乗ろう!」という感じだったけれど、
私ともう一人くらいがちょっと躊躇してしまい、そして私たちの前に並んでいた人たちも動かなかったため、バスは発車。
この時バスに乗らなかったことを、この後40分くらい後悔することに!


新橋行きのバスを見送ってから、一気にバスが来なくなり始めた。
来るのは、このバス停に停まらない最寄駅行き、回送、それから門前仲町行き。
門前仲町行きは10分くらいの間隔で走っていたけど、方向が違うので見送り。
海が近いからか、風が強くて冷たくて、凍りそうなくらい寒かった。
足のつま先からどんどん冷えていって痛くなっていた。


19時40分過ぎ、新橋行きのバスが到着。
すぐさま乗り込む。が、ここで先ほど同じく躊躇した人はその先が見込めないため会社に戻るとお別れ。
バスが発車し、渋滞が心配だったけれど、しばらくは順調。
よかったよかったと思っていたら、橋を渡って晴海を進むあたりからか、徐々にバスが進まなくなった。
勝どきあたりでは完全に渋滞にはまり、歩道を歩く人にどんどんと抜かされていく…。

3/11 20:15:43 バスで銀座へ向かい中 都内に進むにつれ渋滞ひどい 進まない
3/11 20:40:44 こっちも歩きの方が早い状態 とりあえず次のバス停で降りる予定

もう歩いたほうが早いということで、降りることになったけれど、バス停に着くまでが長い。
びっくりするほど進まない。


その頃、バス待ちをしていたときから上司がずっとかけ続けていた電話がつながり、
馴染みのタクシーの運転手だという人と連絡が取れた。しかも、拾ってくれると!
ただ、その人は21時から出勤ということでそれから向かうとのこと。
ということで、20時45分くらいにバスを降り、とりあえず新宿方面へ向かって歩くことに。

■新宿方面へと歩き出す

降りたのは築地6丁目。上司たちに続いてひたすら銀座方面へ歩く。
東銀座を抜けて、銀座くらいまで来たときにふと時計をみるとちょうど21時だった。


更に歩いて日比谷公園の前、信号待ちをしていると日比谷公園前交番からのアナウンスが聞こえた。
「銀座線、半蔵門線復旧しました。」
残念なことに、銀座線も半蔵門線も関係ないが、メトロが復旧し始めているというのは朗報。
ダメ元で交番に飛び込み「丸ノ内線は復旧してないですか!?」と聞くが、
「丸ノ内線に関しては復旧したという連絡は入ってないです。」と。デスヨネー。
立ち止まっても仕方ないので、歩き続ける。


その頃上司が再びタクシーの運転手さんと連絡を取ったらしいが、
タクシーは出発地となる木場で液状化が起きており、動けない状態だそうだ。
ということでタクシー案は頓挫。どちらにしても歩く横の車道を見れば、
ほとんど進んでいないような渋滞状況で、タクシーは無理というのはもう分かっていた。


日比谷からは、内堀通りをひたすら進む。
不謹慎かも知れないけれど、テレビの特集でやっている東京大震災の場合の
徒歩で帰宅のリアルシミュレーションみたいだと思っていた。
電車は動いていないけれど、建物は壊れたりしていなくて倒壊してくる危険性は少ないし、
ガラスが降ってくることもないだろうし、足元だって安定している。
環境としてはかなり安全。ただ、歩いて帰らなくてはならないだけ。
本当に東京を大震災が襲って、危険な状況下でいきなり歩かなくてはいけない状態になるより、
今回のことはいい経験だと思った。


実際、歩いている人は大勢いたけれど、パニックや混乱はないし、みな黙々と歩いていた。
ただ、妊婦さんや付き添いの方もいたけど目の見えない方(白杖を持っていた)も歩いていたので、
それは本当に大変だと思ったけれど。無理されないといいなと思いつつ、何もできず通り過ぎた。


途中高速道路と並行している場所があった。
高速道路は当然静かで、赤い文字で「地震が発生しました。一般道へ出てください」という掲示が光っていた。


半蔵門からは新宿通りを歩く。
四ツ谷駅には真っ暗な電車が総武線のホームに止まっていた。
この時点で相方さんは3時間半程歩いて、自宅に着いたと連絡があった。


新宿通りでは歩道に1か所だけ非常ロープで囲われた場所があった。
特に建物や看板が倒壊している様子はなかったのだけれど、結局何だったんだろうか。
ガス漏れだと言っている人もいたけれど、それだったら結構危険だよね…?

3/11 21:53:47 ちょっとハイになってます 今市ヶ谷です*2

22時頃、四ツ谷駅を過ぎたあたりで、トイレを開放している施設があったので、いったんトイレ休憩。
少しのどの渇きも感じたので、次のコンビニに入って飲み物を調達。
おにぎりとかの食料が一切なかった。あったかい飲み物もかなりなくなっていた。
スナック菓子とかはまだ割と残っていたけど。


一度「この辺りで一旦食事でも取って飲んで、電車復旧するの待つ?」と聞かれた。
正直食べたり飲んだり休むくらいなら、少しでも歩いて早く帰りたい!と思っていたので、「歩きます」と答えた。
それで「とりあえず新宿までは歩こう」ということになった。
上司はこのまま歩いて家まで帰るには遠く、自分は頑張れば歩いて帰れると思っていたからかもしれないけど、
自分でもよくわからないほどに、この時はひたすら「早く家に帰りたい!」と思っていた。

3/11 22:43:45 新宿三丁目きたー 映画館の前 今ごろここで見てるはずだったのになぁ…

22時半頃、新宿三丁目に到着。マルイアネックスが目に入った。
「今日の夜はここで映画を見ようと思ってたのにな〜、今頃見てるはずだったのになー。
なんでこんなことになったんだろう…」と思うとちょっと泣けてきた。

■電車復旧

3/11 22:52:42 京王動いたから 吉祥寺までなら行けるからそうしようかなぁ

新宿に近づいた時、「京王線が復旧した」という情報を掴んだので、東口から地下に入り西口方面へ。
私は直接京王線で帰れるわけではないけれど、このまま歩くよりは吉祥寺からの方が近いはずだし、
吉祥寺からなら営業クンが車を出せるかもということなのでとりあえず向かう。


西口のロータリーのところで、京王線とは関係ない方向の1名とお別れして、
京王の入り口に近づくとすごい人だかり!その先にはシャッターが下りた入口が。
京王復旧したんじゃないの?なんでシャッター閉まってるの?動いてないの?と疑問だらけだけど
周りの人も誰もよくわかっていなさそうだし特にアナウンスもなし。


こんなところで止まっている場合ではないのだ!ということで、小田急脇の通路を進んでみると、
普通に改札前にたどり着いた。シャッターの裏は「防寒のため締めます」という張り紙があるのみ。
とりあえず京王線は動いているらしい。改札前もすごい人だけど。
シャッター前に並んでいるよりはマシだろうと判断し、
シャッター前の群衆の中にいる二人のところへ戻り、状況を伝えて、改札前へ移動。


改札前へ移動してみると、人の流れが大きく動いているときだった。
どうやら入場制限をかけているらしく、電車が来たので改札を通していたみたい。
結局その流れには乗れず、更に1本待って、その次の電車が来たときに改札を通ることができた。
定期やパスモは通さなくていいという案内があったので、ありがたく素通り。


無事電車に乗り、発車まで待つ。
それなりに人が乗り込んで結構な混雑だったけれど、京王線の通勤帰宅ラッシュ時のひどい時よりは全然マシ。
そして、5分ほどして発車。
それと同時に相方さんからメールが。

3/11 23:10:42 丸の内動いたよ

電車が発車したこのタイミングで…!でも丸ノ内線なら地元駅まで帰れる…
悩んだ結果、一緒の2人に別れを告げ、笹塚で降りて反対側のホームへ。
2,3分で電車が来たので乗り込み、新宿へUターン。
京王線を降りてみると、改札前にはまだ人が大勢いたけれど、
さっきまで降りていたシャッターは上がって、その前に集まっていた人だかりは解消されてた。
ほんの10数分なのに恐るべし。


丸ノ内線改札に着き、改札を通ってホームへ。
京王とは違って、メトロはきっちり「改札通してください〜」ってアナウンスしてた。。。
ちょうどホームに止まっていた電車に滑り込み、発車。
復旧直後のラッシュは過ぎていたのか、多少の混雑程度。

3/11 23:36:09
丸ノ内線空気悪。気持ち悪い
でも京王よりすいてるな
今までハイだったから元気だったけどちと疲れた

一人になったのと、最寄駅までの電車に乗れた安堵感もあってか、
少し気に緩みが出たのか、どっと疲れを感じ始めた。

■階段という最後の難関

3/11 23:53:24 着いた

ようやく最寄り駅に着き、最後の気を引き締め、はやる気持ちを抑えつつマンションへ。
エントランスを入ると…エレベーターが真っ暗。停止中でした…。
案内通りに外に回って、非常階段を上ることに!
非常階段ってどうなってるんだろうと思っていたこともあったけれど、まさか上るハメになる日が来るとは…!


外の階段を9階まで上るのは、ちょっと心が折れそうになったけど、
それ以外に家に帰る方法がないから仕方ないね。
余震もある中、落ちたら死ぬ!という恐怖といつもの貧血と戦いつつ一歩一歩足をあげる。


DCF00123.jpg

8階と9階の踊り場で撮った写真。
取った直後に余震が来ていたらしい。気づかないふりしてたけど…。
非常口からマンションに入り、日付が変わる頃、ようやく帰宅!


■いつでも逃げ出せる準備で就寝


家についてからは、最後の気力で万が一の時に逃げ出す時の持ち物をまとめて、
動きやすくて暖かい服に着替え、簡単に夕食を取る。


家の中は、先に帰宅していた相方さんが片付けたりしていてくれたおかげで
私は地震後の状態をあまり知らないけれど、
それでも冷蔵庫が10cmくらい前へ出てきてたり、本棚のストッパーが少しずれたりしていた。
ずっと気になっていたテレビはテレビ台から倒れていたらしいけれど、
前にあったテーブルに支えられたのもあってか、壊れていなかったのが幸い。


帰宅してようやくテレビを見て、やっと東北の被害状況を目にした。
テレビから飛び込んでくる映像を理解するのに時間がかかった。
そして歩いているときには気づかなかったけれど、余震もまだ続いていた。


地震の恐怖と次々流れてくる情報に目が離せなかったけれど
家にたどり着いてから一気におそわれてきた疲労感で2時頃眠った。


◆大事だと思ったこと

職場を出てから帰宅まで5時間ちょっと。
「絶対家に帰る!」という意志があったからこそ頑張れたのはもちろんあると思うけど、
それ以外にも、歩いている間それほど寒くなかったのも大きかった。*3


それからたぶん一番大きかったのは、職場の人と一緒にいたこと。
歩いているときはほとんど年下の営業クンといろいろ話をしていて、
そういう風に、コミュニケーションをとっていたから
変にパニックになったりせず、前向きになれていたように思う。


加えて、道を知っているというのは大きいなと感じた。
職場から自宅まで全道程を歩くというのは無理にしても、
主要ハブ駅から自宅までとかでも、道を知っている、歩いたことがあるという経験があると
見通しができるし精神的にもおちつくような気がする。


今回新宿からは結局電車で帰ったけれど、歩きでも頑張れる地震があったのは
一度新宿から家まで歩いた経験から*4、道や時間についておおよそ分かるという安心感があったからと思う。
自分の経験は自信になるから。
今回築地から新宿まで歩いたのも、かなりいい経験になったと思います。



そんな1日。


少しでも早く日本とみんなが元気になりますように。
心からの笑顔があふれる日が1日も早く訪れますように。



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*1:この方の職場は29階

*2:本当は四ツ谷。四ツ谷駅を市ヶ谷と勘違いしてた。

*3:バスを待っているときが一番寒かった・・・

*4:完全に勢いで歩いたことがあった